2014年4月7日月曜日

東京闘病生活

「東京闘病生活」

昨年12月に急に右腕が腫れて、アザが紫色に広がり、痛くて寝る事も苦労しました。
早速、バリの診療所から病院まで回って診てもらいましたが、「よく解らない」と云う返事ばかり、益々腕が足の太さのようになり、腕の下部には内出血の血がたまってきました。痛みがきつくなって来たので、これはヤバイと思って絵画教室のヴィジター生徒さんが勤務する東京の病院に問い合わせて診てもらうことになり、血液内科の先生が曰く、早速入院が必要と判断され、狐につままれたように、何が起こっているのかよく把握出来ませんでした。血液内科の先生が常駐して治療する病院は少なく、東京都済生会中央病院に入院するはめになってしまいました。12月の寒い時期でした。
入院してからは毎日が検査、検査の日々、骨髄から髄液を取ったり、皮膚細胞を切り取ったり、MRIやレントゲン、エコーやあらゆる検査をする事になりました。そして年末には病状が教えられ、悪性リンパ腫という「血液がん」だったのです。後天性血友病の疑いもあり、これから、もっと検査を重ねて治療しましょう。という6ケ月入院という判決を受け、まさに懲役6ケ月の実刑、執行猶予なしのような感覚でした。こうなるとは予想もしていなかったので、バリに置いて来た犬の家族やバリの日常生活のケアーが出来なくなり、困ってしまった。東京タワーのクリスマス・イルミネーションが病院の洗面所の窓から見える。複雑な気持ちで人生で初めての入院生活を余儀なくされたのでした。


6人部屋の真ん中のベッドで朝は6時起床、夜は9時消灯という時間帯の生活が始まりました。3日に一度の採血、毎日血圧、血液酸素量、体温、体重そして抗がん剤で不必要な抗体細胞を殺し、水を一日2リットル飲んで小水にて老廃物を出すのですが、夜中に10回くらいお便所に起きてしまいます。ひどい時は20回くらいで、寝る暇もないくらい、毎日大小便の回数の報告を看護師さんにします。体重が増えると利尿剤を与えられ便所に行く回数はまたまた増えるのです。点滴スタンドを転がしながら便所に行く様はまさに僕のイメージの中では重病人。一ケ月ほどすると窓際の患者さんが退院したので、窓際に移りました。外の景色や光が射して来て明るく少し快適な空間が出来ました。この頃から時間つぶしに絵を描き始めましたが、油絵は同室の人もおられるのでその匂いのせいで断念、水彩画で紙に描き始めた訳です。そのうち看護師さんたちや先生も絵を見るのが楽しみで、症状のことを聞くよりも先の「今日はどんな絵を描きましたか」と尋ねられるようになりました。いろんな絵を壁に貼って入院展の毎日でした。


幸いにも、抗がん剤の副作用はなく、不快感なく投薬が出来ました。食欲もあって、バリでは食べれないものばかりで、美味しくペロッと毎日食べていました。同室の患者さんの多くは残したり、一階のコンビニで少し味のあるものを買って食べていました。私の病気は癌でも臓器に移転するタイプのものではなく、内蔵チェックしてもどの臓器にも疾患がありませんでした。バリでは一日40本のタバコを、半世紀以上吸っているのですが、肺も大丈夫ということで、先生は薬がよく効いていますと言ってました。また副作用がないのも他の疾患がないので楽だったのでしょう。だから、身体は至って元気、抜け出しては外でタバコを吸う毎日、毎朝、夕方、病院を抜け出して無許可で散歩をし、赤羽橋近辺を探索する毎日でした。正月は外泊許可をもらって家内と正月を迎え、初詣、家内が作るお雑煮などを頂きました。また沢山の人が何回もお見舞いに来てくれたり、癌にいい食べ物や手作り酵素、有機レモン蜂蜜漬け、ソマチットという函館の化石から取った粉、レモングラス茶、乾燥いちじく、パパヤの葉っぱのお茶、温熱療法の器具を貸してくれたり、ジンジャー・シロップなど、皆さんの心遣いの自然療法グッズを頂き、何と有り難いことと、感謝で一杯でした。中学校の同級生も何人か来てくれ、あまりにも元気なので失望して帰りました。食事制限がなかったので、いろんなお菓子を持ってきてくれたり、水彩画の筆や絵の具を頂いたり、至れり、尽くせりで有り難かったのです。


2月も終わり頃、先生が経過がいいので、退院して後は通院治療でもいいですよと言っていただき、6ケ月が2ケ月で仮釈放になることになった。よかった。雪の降る娑婆に戻れるのだ。これからは採血と化学治療に行くのみとなった。早速友人達が退院祝いのパーティを雪の積もる日にしてもらった、鍋料理をみんなで食べていると、普通の生活がいかにすばらしいことかと痛感した。退院する時に絵を一枚ナースセンターにあげたら、廊下に飾ってくれていた。もうここに帰って来るようなことはあるまいと、心に決めて病院を後にした。


今は毎日、家での療養、朝、夕と目黒近辺を散歩する毎日、バリではほとんど歩かなかった日常が東京では本当によく歩くようになった、美術館に行ったり、渋谷の雑踏の中に、tomocaのライブを見に、歌舞伎をみたり、東京探訪が出来るようになった。身体はじょじょによくなり、血液の数値も安定しだし、あと少しの治療が待っているだけ、しかし、精神的には長い東京生活でバリにいた時とのギャップのストレスが出て来た。コンクリート・ジャングルはもういい。早くバリに帰りたい。そんな思いで絵も東京ではなかなか描けない、焦りや、不安が襲ってくるのだ。身体も精神も強くなくては思うけど、70歳の古希を迎えた自分に叱咤激励をすることしか出来なかった。お見舞いに来ていただいたみなさん、メールで励ましをくださったみなさん、ありがとうございました。

ーつづくー




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