2014年4月8日火曜日

続 東京闘病生活

病と戦うと云うことは、自分との戦いだと云うのがよく解った。弱気になると坂を滑るように落ちてしまう。光が入らないマンションでは色がよく見えない、そこで絵が描けない事を光の責任にする。こうして坂を落ちるのだが、天気のいい日はマンションの屋上で画材を持って行って描く、日が沈むころ片付けて部屋に戻る。こうした前向きの姿勢が戦うことになるのだろう。またいろんな人にサポートされて戦いに味方を増やす事もある。先日東京在住の中学時代の同窓生達が「快気祝い」を六本木のレストランでしてくれた。もう60年近い縁である。面影を残しているとやはり当時の話題になり、「森さんにいじめられたんよ」という女子同窓生は、やんちゃだった僕のイメージを60年ずーと持っていたのかなー。話は尽きない昔の縁、そんな後元気が湧いて来る。


また、家内は誠心誠意尽くしてくれる。これは有り難い味方である。一人生活のバリが長かったのでこうなる前に彼女と縁を結んだことが、やはり必然であったのか、まだ見捨てられていない自分がいることに気づく。人は一人で生きられない。いろんな人との縁が網のようなネットワークで繋がっているのだ。その繋がりが活かしてもらう原動力でもあるのだ。バリでの気ままな生活は東京では出来ない。東京は生きる為の生活のパーセンテージが高い。みんな寡黙に生活の為の仕事に勤しんでいる。よそ見もしないひたすら目的に向かって進む前進人間が多い、そんな中、私の育った大阪に家内と一泊旅行に行った。彼女の40歳の誕生日に育った大阪を見てほしかった。十三のねぎ焼き、道頓堀のたこ八のたこ焼き、法善寺水掛け不動、丸福のコーヒーと短い時間に大阪、ミナミを満喫してもらった。これも自分にとっては一つのリハビリテーションでもあった。そして家内に友人であるジャンベ奏者、ワールドレコード・ショップのオーナー、イカットの収集家、割烹料理屋の女将、古い友人の不動産屋さん、猫をカウンターにはべらすバーのマスター、葉巻きと酒でこう頭ガン手術をしたバーのマスター、短い時間にこんな沢山の人を紹介する事が出来た。みんなそれぞれ自分の世界で一所懸命生きている。好きな事をして生きている友人の顔には笑いが絶えない。それは自分にメッセージをされているかのように、いつも微笑みを持って生きる姿勢、元気をもらって東京に帰る前に京都、銀閣寺に寄って帰路に着いた。



そして次の日は化学治療の日、朝から採血をしてその結果血液数値は良くなっているのだが、抗がん剤のせいで白血球が少なくなって感染症やカリニ肺炎感染の危険性があるので、抗がん剤はやめる事になった。病院はまた違った現実を見せつけてくれる。こんな難病にかかっているとはバリを出た時は解らなかったので、やり残したことや、放置したままのバリのアトリエの仕事が、またこの夏、奈良と銀座で個展を用意しているので、いろいろ準備もしなくてはならないので、10日間ほど治療の合間をみてウブッドに帰る。犬達は長い間留守をしていた私をどう歓迎してくれるのか、どれだけ恋しく思ったか、きっと犬達も同じと思う。短い間でも濃い時間がすごせそうだ、大阪の旅のように。まだまだ続く闘病生活ですが、いろんな出会いがあっていろんな事に気づかせてくれる生活です。早く回復してみんなから頂いたい様なエネルギーを私も人にあげれるようになりたい。




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